《野口晴哉著作全集 第二巻より》

教育の対象

教え育てるといふことは先人の知を与え、
当人の智を伸ばすことに止まらず、
そのもてる能力を発揮して自分自身の足にて立たしむることだ。

自分から産み出すを教え、自分の考えを実行し、
失敗したら更に力を出すことを体得させることが必要だ。
懐手して他人の書いたものをまる暗記することをのみ褒めてはいけない。

答えの正確を求めるのではない。
その着想、その推理、その判断を求め、
運用の途を自ら拓(ひら)かしむるのだ。

叱り褒むるは賞罰の為ではない。
裡(うち)なるものを伸ばす為の手段だ。
しかも叱り褒むることは単なる言葉のテクニックではない。
叱り褒むる者の人格の現はれだ。

巧妙な言葉が彼を導くのではない。
その言葉を出すに至る彼に対する愛情を彼が胸で感ずるから、
その叱られ褒められることが嬉しくなるのだ。
頭での工夫は又彼をして頭で受け取らしめ、批判せしむるものだ。

それ故、叱り方褒め方のテクニックをご承知になられたと思うが、
それを用ふるには愛情がその中心となり、
胸で与え、胸で受け取らしむるのでなければ、
そのテクニックはテクニックで終る。

吾々の常に欲するのは心である。
現はれた行為はその結果だ。
行為そのものが対象ではない。
それ故、教育の第一の対象は子供の頭ではなくて、
親の胸であることを充分ご理解願ひたい。

それ故、子どもを良く変へようとして
テクニックをいくら研究しても、
親そのものが変わらねば本当ではない。
後略