小学生の頃から希望していた県立高校、
1学年530人ほど、12クラスもあるマンモス校でした。
自由闊達な校風で、みんな活き活きとしていました。
文武両道、音楽も美術も何でもできる友人ばかり。
学校行事も盛んで、毎月、昼休みを利用して何かしらの球技大会があったり
文化祭はもちろん、一番の目玉は1年間かけて準備する体育祭でした!

体育祭はあの高校の目玉といっても過言ではない、壮大な行事です。
3学年が縦割りで12色の対抗戦。
ただの「競技」にとどまりません。
「仮装」という演目があり、10分に満たない時間で
ストーリーを音楽、体系移動、踊り、衣装、大道具、小道具を使って表現します。
「バックボード」というベニヤいた8枚の巨大な絵を描いたり。
この3項目を競います。
3学年135人を束ねるのは3年生。
先生の関与はほとんどありません。
ゼロから全てを作り上げる、
衣装も夏休みに外の釜でシーツを染色するところからです。
カルメンのヒラヒラしたドレスも型紙から作ります。
みんなどこにそんな才能と情熱があったんでしょう?
3年間、体育祭をとことん楽しみました。

部活勧誘と入部は印象的でした。
170cmの高身長でショートカットの私は
入学式の日には、あらゆる運動部からぐるりと囲まれ勧誘の嵐でした。

硬式テニス部に入りたかったのですが、
人気があるので振い落としでハードな筋トレばかりの仮入部期間。
根性なしでふるい落とされてしまいました。

4つ上の兄が陸上部だったので、何となく陸上部へ。
足が速いわけではないのでマネージャー入部。
それが、練習を見ていたらやってみたくなって選手転向。
でも、もともと足が速いわけでも、運動をしていたわけでもない私
ついていくのに必死です。
どうやってもついていけず1年後退部。

結局、またもや居心地のよい美術部で
油絵やパステル画を描いたり、
先生のご自宅で陶芸したり、みんなでBBQしたり。

学校の方針で、全員何かの部に所属しなくてはならず、
いろんな理由で運動部を退部した人が集まる部でした。
美大や建築に進む本格的な人から、ピアスを開けたスケーター男子まで。
自分からはなかなか友達にはならないタイプの人達とも接して
たくさんの価値観に触れられました。

自由ということは自己責任を伴うもの。
高校時代に身にしみました。
学校からは、「勉強しろ」という指導は、ほとんどありません。
なので、部活や行事にかまけて勉強がおろそかになると
あっという間についていけなくなります。

私の成績はいつも400番台後半。
好きで得意な生物と国語で何とか500番台には突入せずに済む。
理系志望なのに数学と英語は赤点で追試ばかり、
そんな劣等生でした。

そんなわけで、大学受験は…
同級生たちは、切り替えがはやかったり
遊びも勉強も両立できる器用な人が多く
体育祭を終えると一気に受験モードで偏差値を上げていきますが、
ぐずらちゃんの私は切り替えも追い上げもできず
現役時代は記念受験程度。
センター試験は超えられても、本試験対策が全然でした。

その頃、父が早期退職して
退職金を使って単身タヒチへ移住という暴挙に!

経済的に浪人もお金のかかる私立も
許されない状況だったのですが
優しい母に甘えて、浪人させてもらい
理系私立に進学させてもらいました。